題:アイスピックの語るもの――『氷の微笑』における欲望の迷路 発表年月日:2004年6月19日
映画『氷の微笑』(Basic Instinct, 監督Paul Verhoeven, 1992年)は、主演女優シャロン・ストーンの妖艶な姿態とアイスピックによる残酷な殺害シーンで話題となった作であるが、殺人の犯人も動機も明確な解決が得られない曖昧さが問題視されてきた。この作品は個々の場面設定自体が迷路のような印象を与えるが、その深層には人間の欲望の迷路のようなメカニズムがあるように思われる。氏名:石塚倫子(東京家政大学教授) 『氷の微笑』には『サイコ』や『めまい』などヒッチコックの引用がいくつか見られる。しかし、重大な違いは、凶器で襲うのはファリックな女性の方であり(この場合アイスピックはファルスを象徴する)、男性からの窃視を意図的に操るのも女性だという点である。さらに、容疑者としてマークされる謎の女キャサリン(シャロン・ストーン)はすべてにおいて刑事ニック(マイケル・ダグラス)を上回る。一方のニックは警察という管理社会の劣等性であり、それがニックの男性性をひどく苛立たせ不安を掻き立てる。しかし同時に、ニックは危険な女性キャサリンに強く惹きつけられ、自分を失っていく。 キャサリンはニック心理の奥底に眠る欲望――去勢というプロセスを経て抑圧した享楽――をゆさぶる危険な女という意味で、アブジェクトとしての母なるものを象徴すると捉えることもできよう。ニックにとって、アイスピックは去勢恐怖を表象する凶器であると同時にファルス――欲望の象徴――でもある。自己のアイデンティティを保つためには母を遺棄しなければならない。しかし、同時に抑圧された欲望が強く母を求める。ニックの迷路はこのジレンマによるとも言える。 さらにこの母はペンというファルスを持つ。つまり男性の占有物であった言葉を用いて、彼らを自分のナラティヴの中で自由に操ることができるのである。しかしすでに見てきたように、彼女は彼の男性性を支える慈愛の母ではなく、彼を食い尽くすかもしれないファリックな母である。実際、彼女の「ペン/アイスピック/死の象徴」によって、小説の中の刑事も相棒も抹殺される。彼女と一体となる欲望を抱くことは死を意味するのだ。 映画の終りは一見、ハッピーエンドを迎えたかのように見える。しかし、キャサリンの刹那の欲望と快楽に、家父長制社会が刷り込んできた異性愛と家庭の幸福という幻想はない。ベッドの下のアイスピックはこの幻想がいつでも砕くことのできる脆弱なものであることを物語るのだ。この結末は、90年代のフェミニズムが強く反映していると考えても良かろう。キャサリンのように美しく妖艶な女性は従来、男性の窃視の消費対象でしかなく、最後は異性愛を心から満足して幸せになるよう仕組まれている。しかし、この映画のヒロインは逆に隠された男性主体の脆弱さを暴きだした。但し、同時に相変わらず罰を受ける女性・ベスがいたことも忘れてはならない。 |