第11回大会発表概要


題:よみがえる奴隷船―その現代的意味とはなにか

発表年月日:2004年9月17日

氏名:山本伸
(四日市大学環境情報学部メディアコミュニケーション学科)


 本当は「マクドナルドの使われ方の地域的有意差」というテーマで、台湾と沖縄のマックの使われ方についてお話する予定だったのですが、そのことをつい忘れてしまって、上記のテーマで発表してしまいました。マックについては、また今度ということでお許しください。
 さて、最近のイギリス黒人小説の傾向のひとつとして、奴隷制時代を扱うものが多い点があげられます。フレッド・ダギュア、デヴィッド・ダビディーン、キャリル・フィリップスらは、いずれもそろって奴隷貿易をモチーフにした小説を発表し、そのなかに登場する「奴隷船」は特有の空間としてきわめて重要な役割を果たしているように思われます。廃止後200年近く経ったいまもなお、奴隷貿易がテーマになりつづけるのはなぜでしょうか。ひとつの歴史的断片として奴隷制のインパクトの強烈さはいまさら言うまでもありませんが、社会的にも政治的にも、当時の記録からはその多くが抹消された「奴隷船内部」の人びとの様子や心理をいまによみがえらせることが、一史実を客観的になぞるのとは違って、大きな意味を持つことは容易に察することができます。読者の目は、大西洋を航行する奴隷船をさわやかな風の行き交う大空からの俯瞰的なものから、糞便と汗の悪臭の立ちこめた甲板内部で苦しみと絶望にあえぐ奴隷たちをまじまじと眺める間近なものへと移行させられ、また過去の一史実という遠い意識は現在の「ここ」へと引きずり出されるわけです。読者の心理における、この時間的、空間的移動は、文学はもとより、映画や絵画といった芸術のもつ力であることはいまさらいうまでもありません。すなわち、「奴隷船」がさまざまな芸術のテーマに取り上げられるたびに、それは読者の人種や文化や社会的状況を超えたレベルでよみがえりつづけるわけです。
 では、なぜかくも多くの芸術家たちがさまざまな形を通して「奴隷船」を今によみがえらせようとするのでしょうか。それは、「奴隷船」が一人種に対する、一時代の不幸な出来事の象徴としてではなく、現代というコンテクストにおいてもなんら変わらぬ普遍的な、愛や自由や人間性といった本質を再確認するための検証的空間としての機能を果たしつづけているからにほかありません。自由と権利を当然のように保障された日本人としての私たちが、その本当の意味を知ることは大切です。なぜなら、歴史的にそうでなかった人々の感情や状況を許可なんて機に理解することで、いまも現実にそうではない状況下にある人々と自分、つまり「他者」と「自己」を一体化することができるからです。
 自己と他者の境界を色濃くする傾向がこれまで以上に強まる現代世界の現実を目の当たりにしている私たちにとって、「奴隷船」のもつ人間の本質的に理解する必要性はますます高まっているのです。




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