第14回大会発表概要


題:タイ国王とジャズ――ポップカルチャーと政治

発表年月日:2005年7月2日

氏名:松本利秋(千葉工業大学・国士舘大学非常勤講師)


 タイ国の歴史は一般に承知されている歴史の常識から見ると、謎に満ちています。その一つは19世紀から20世紀にかけて東南アジアが欧米列強に侵略され、次々と植民地になっていったのにもかかわらず、タイ国のみが独立を保てた事。更に言えば第2次大戦では日本と軍事同盟を結び、米英を始めとする連合軍に宣戦布告したが、アメリカの強力な後押しもあって、戦争が終わって見ると国際社会からは敗戦国の扱いを受けなかったなどが挙げられます。タイ国では何故こんなアクロバティックな歴史が起こりえたのか−この謎にアプローチする一つの取っ掛かりとして、タイ王室のありようと、ポップカルチャー、更には政治とのかかわりについて考察を試みたのが今回の発表でした。
 ご存知のようにタイ国は一貫して王制を敷いてきました。1932年に革命が起きて「立憲君主国」として近代国家の道を歩みますが、これ以降、タイ国の政治は自由な市民を中心とした革新政治を行おうとする勢力と、タイの独自性に基盤を置き、団結とナショナリズムを基調とした政治行おうとする勢力の二つがぶつかり合う政治状況となったのです。前者の代表は文民出身でタマサート大学創始者であるプリディーパノムヨン、後者は軍人出身のピブンソンクラームに代表されます。しかし、何れの派も究極的には国王を中心とした独立国家の存続が最重要課題だとしていました。従って、ピブン派は戦争中の日タイ同盟もタイ国の独立を保つ手段と位置づけていました。対するプリディー派は欧米と連帯することこそ国家独立保持に重要と考え、日本軍の情報を連合軍に流し、サボタージュ活動を盛んに起こしていました。この事が後に連合国に評価されて戦後のタイ国政治の流れが米国一辺倒に傾斜していきます。この時期に登場したのがプミポン現国王でした。
 プミポン国王は兄王の変死の後を次いで、終戦直後に急遽即位するのですが、それまではスイスでカーレーサーになったり、ベニー・グッドマンとジャズセッションを行うなど自由な生活を送っていました。米国生まれのプミポンはこの様な自由と若さを象徴する存在だったのです。前述のように、タイ国の政治が大きくアメリカ寄りに傾斜していく中、国民の間に米国に対する文化的認知度を上げていく必要がありました。その意味で言えば、彼の存在はうってつけであったのです。新国王はシリキット王妃との恋愛中、彼が作曲したジャズの楽曲をプレゼントしたとか、二人が恋に落ちたのはカー・レースの事故で傷ついた王をやさしく看護したのがきっかけだとか、これまでロイヤル・ファミリーに関する情報はごく限られたものでしかなかったのに、プミポン国王夫妻の話題はまるで甘いハリウッド恋愛映画のストーリーのようにして国民の間に語り継がれていったのです。この一連の流れの中で、国王は王宮内にスタジオを作り、自らのジャズ・バンドを結成して30分のラジオ番組を25年の長きに亘って放送し続けたのです。この行為は国民に新たなライフスタイルと米国式民主主義のエッセンスを国民に伝えるために絶大な効果を揚げる事となりました。この事がタイ国の戦後政治過程でアメリカとの密接濃厚な関係が生まれる大きな要因の一つとなったと言えるでしょう。この様なタイ国内で自ら改革しようとする努力があったからこそ、冒頭に挙げたような歴史を造り上げる事が可能だったと思います。




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