題:インドネシアを代表する大衆音楽の存在とその役割 − クロンチョン・ダンドゥット音楽を巡って − 発表年月日:2005年12月10日
多民族国家であるインドネシアはユーラシア大陸とオーストラリア大陸との間に位置している世界最大の群島国家である。各地の土着文化やヒンズー文化、イスラム文化、西欧文化などは歴史に重なって、インドネシアの社会に強い影響をもたらした。また、文化色の濃いインドネシア各地の社会の中でも、大衆音楽を代表するクロンチョンとダンドゥット音楽が存在している。この二つの音楽はクレオール文化であり、民族を越えてインドネシアを始めて周辺国にまで広まっていった。氏名:Kartika Handayani Ambari(カルティカ・ハンダヤニ・アンバリ) (国士舘大学政治学研究科博士課程2年) 元来クロンチョンとは楽器の名称だったが、音楽様式をさすのに転用された。クロンチョンはポルトガルの影響で、16世紀にインドネシアのジャカルタ周辺に成立された音楽だと推定されている。クロンチョンはオランダに敗れ、ポルトガルが撤退した時に帰れなかったポルトガル系の子孫が生み出したといわれているが、ポルトガル統治時代に奴隷として連れてこられたインドのゴアの移住者がクロンチョンを流行らしたという説もある。 クロンチョンはインドネシア全土に広がっていって、独立後に多民族国家インドネシアの国民音楽として認められた。特にインドネシア語普及に効果ありと喧伝されて、極めて盛んになった。 一方、ダンドゥットは1970年代以降、ジャワの都市部を中心に急速に普及した新しい大衆音楽である。マレー半島からスマトラ島にかけての伝統的な音楽に、ロック的なビートを加味して、歌手ロマ・イラマ(Rhoma Irama)が1970年代初頭に創始した。ダンドゥットは、下町の庶民には圧倒的に支持される音楽である。 このような民族を超えた大衆音楽は多民族国家においては、国民文化になりうる文化の素材となった。なぜなら、土屋 建治が指摘したように一般的には古典がないクレオール文化は起源のあいまいさで、「古典」が一切存在せず、帰属先が不明である「クレオール文化」はどのような文化集団もそこに参入でき、誰もがその潜在的消費者となりえるからだと考えられる。このクロンチョンとダンドゥット音楽はインドネシア語と同様にまさにこのクレオールにあてはまり、大衆文化(国民文化)として全国的に拡大していった。 今現在、インドネシア政府は国民分裂、国家分裂を防止し、国民を統一するために、この二つの音楽を利用し、国民にスローガンやプロパガンダを浸透させている。例えば、1995年には、インドネシア独立50周年を記念して、ダンドゥット・コンサートを政府がジャカルタで催した。また、ダンドゥットの歌詞には、今までイスラム教や生活の貧しさや恋愛を主として使われていたが、近年では国民形成に繋がる歌詞が増えつつある。 クロンチョンとダンドゥットはまったく異なった環境で誕生した大衆音楽であり、国民文化を形成する大きな役割を果たしてきたと思われる。ダンドゥットは、これまでインドネシアでは低俗な音楽と見なされてきたが、グローバル化が進む今日において、今まで社会的に軽蔑されてきたダンドゥットも、国際化していくことによって、クロンチョンと同様にインドネシア的ナショナリズムを図る素材となりえるのではないかと思われる。 |