題:黒人音楽と言語リズム 発表年月日:2002年9月13日
アメリカにおける黒人音楽は20世紀初頭に白人により発掘され、その後20世紀のアメリカ、いや世界の大衆音楽を代表するものとなった。この時期ほとんど同時に黒人音楽の2つの主流であるブルースとジャズがさほど遠くないところ(メンフィス、ニューオリンズ)で「生まれた」ことは大変興味深い。もちろんこれは20世紀初頭に白人ジャーナリスト、民俗学者、レコードプロデューサーなどがこれらの音楽を発掘し、商業ベースに乗せたためであり、また、レコーディング技術や、マイクロフォン、アンプリファイアなど電気楽器の発達により、大衆に提供できる音楽となったということがその本質であろう。この時代以前にもこれらの音楽形式のベースとなる音楽はミシシッピデルタに存在していた。ジャズ、ブルースはアフリカ音楽にそのルーツを求められることが多く、初期の「発掘者」の一人であるサム・チャーターズなど多くの研究者が現代西アフリカ音楽形態の一つであるウォロフ(Wolof)族のグリオ(griot)との共通性を指摘している。従来のこの種の研究はほとんどアフリカとアメリカ黒人音楽との音楽形態、詩の形式、歌唱形式、楽器の比較を中心に行われている。氏名:榎本正嗣(玉川大学) アメリカ黒人音楽はその特徴的なリズム、歌唱法にあるといえる。リズムに関してはジャズに見られるオフ・ビート、シンコペーションなどの多用。また、ブルース歌唱法はブルーノートに代表される半音下げ、めまぐるしい音調変化、ファルセット、シャウトうなり声などの使用などがあげられよう。これらの音楽的特徴のルーツとして指摘されるのは、アフリカのポリリズムやポリフォニーである。前者は異なったリズムが並行して演奏され複雑なリズム構造を作り上げている。また後者はハーモニーという発想ではなく、複数の主旋律が並行して流れるような音楽形式である。アフリカ音楽の代表的な楽器はリズム楽器(打楽器)で、メロディーを担当するのは、笛あるいは単純な弦楽器であった。また、メロディー楽器の種類は少なく、音色の多様性を楽器で出すのには制限があり、現在のアカペラ歌唱法のように「声」を多用に変化させ音色の複雑さを生み出していたと考えられる。このような西アフリカの音楽形式は奴隷船とともにアメリカに持ち込まれたとされている。しかし持ち込まれたのは音楽のみではなく、奴隷売買によって生まれたピジン、クリオールも奴隷たちとともにアメリカ南部に渡った。 アメリカ黒人音楽の特徴をアフリカ言語の音声的特徴と関連付ける試みは、両者の本質的共通点の多さにもかかわらず従来研究対象として取り上げられることが少なかった。しかしながら、主にアフリカ言語の韻律研究から生まれた音韻論における新しい韻律理論の枠組が提出され(Goldsmith, '76, Hays, '80)、また実際に音楽と言語構造の類似性を直接指摘したJackendoff('83)の研究などから、音楽と言語との類似性は明らかになってきている。これらを背景に本研究ではかつて奴隷貿易の中心地であった西アフリカ諸言語の韻律特徴が黒人音楽の構成要素の一つとなったのではないかとの仮説を立て実証を試みた。 上記のウォロフ語などを含む西アフリカのナイジェ・コンゴ語族に属する言語の多くは音調言語(tone language)である。音調言語とは音節中の母音のピッチ変化によって意味を決定する言語である。音調言語には変化音調(contour tone)言語や,平坦音調(level tone)言語などがある。また,変化音調言語として有名な中国語には四声と呼ばれる数種類の音調があり、また,タイ語のように更に複雑な音調構造をもつ言語も存在する。このようなピッチ変化を持つ言語の話者が,言語学習のような言語接触にさらされた場合,一般的に母語の韻律特徴は目的言語にそのまま持ち込まれる。したがって目的言語が英語の場合ピッチ変化の多い発音となってしまうことが多い。これがいわゆる「訛り」である。 西アフリカ人は奴隷貿易という形でこの言語接触を経験した。アフリカは基本的に一部族一言語であるため奴隷商人は暴動を避けるため,異なった部族から意図的にアフリカ人をあつめた。コミュニケーションに困ったアフリカ人たちは伝達手段として中立的な奴隷商人の言語を選んだ(実際は通訳として働いていたすでにピジン英語を話すアフリカ人から学んだものとされている)。混交語とされるピジンは文法的,語彙的枠を作る英語と,アフリカ諸言語からのいくらかの語彙から成り立っている。特に音声的には母語の音声特徴をそのまま残しており、特に韻律特徴は現在のクリオール言語である西アフリカのクリオ語にも観察される。ピジンを学んだアフリカ人たちは西インド諸島を経由しアメリカ南部の農園に奴隷として買われていくわけだが,世代を重ねるうちに「補助言語」であったピジンはクリオールと名前を変え第一言語となる。アメリカ南部農園で話されたクリオールは「プランテーションクリオール」と呼ばれ,現在でもその発音の名残は南部のアフリカ系アメリカ人の発話に聞き取ることができる。 音調言語としてのアフリカ言語は意味とのかかわりから、音楽的に非常に制限されていた。というのもメロディーは基本的に音調と同等で,意味を明確にするためにはメロディーと音調が合致する必要があった。しかし,英語を獲得した彼らにとってもはやこの束縛は存在しなかった。というのも英語は音調言語ではなく,音の高低の変化は直接的には意味の変化をもたらすことはないからだ。 意味の束縛から解き放たれた音調はすでに情緒表現力あるいは音楽的意味しかもたなくなった。ブルースを生み出した農園労働者の音楽にコットンフィールドで歌われた「ハラー」(holler)がある。もう一つの祖先であるワークソングが集団労働のリズムを合わせるための音楽であるのに対し、ハラーは野良で孤独に働く農園労働者が歌ったもので、アフリカをしのばせる激しい音調変化、ファルセットなどを用いた歌い方である。コットンフィールドで遠くの仲間とコミュニケーションをとる場合に有効なのは通常のコミュニケーションで行われる単音の組み合わせよりはよく響く母音を使いピッチ変化させることである。実際19世紀半ばの農園ではこのようなハラーをよく耳にしたようだ(Olmstead, F. ,1856, Oliver, P., 1997. p.17)。このような「情緒的」な歌い方はブルースに引き継がれ上記の特徴をもつようになったと考えられる。 西アフリカ諸語と英語は言語リズムの点でも異なっている。音調言語である西アフリカ諸語は音節をリズム単位としている。というのもそれぞれの音節には特定の音調が与えられており、音節同士はリズム単位としては同等である。リズムは発音の基礎をなしており、言語接触時もその構造は変化しにくい。英語は強勢音節と弱音節の交替によりリズムを生み出しており、強弱の組み合わせである音韻脚がリズム単位となっている。しかし西アフリカクリオールのクリオ語の発音を観察すると音節リズムを使って発音しており、それぞれの音節は概ね同様の長さが与えられている。 ![]() このような音節リズム発音はアメリカ大陸においては奴隷貿易初期、あるいはプランテーションクリオール時代には存在したと考えられるが、白人英語との同化が進み、ブルース、ジャズなどが生まれる19世紀末から20世紀初頭にはすでに強勢リズムに移行していと考えられる。しかしながら現在においても白人英語のリズムと基本的な相違点が観察される。アメリカ標準発音では文全体のイントネーションは比較的平坦で、核強勢といわれる文アクセント(通常は文の最後の内容語におかれる)のみを際立たせる発音となっている。核強勢以外の音韻脚は実際には強弱音節間のと明瞭なピッチ変化、あるいは長さの違いは観察されず、母音の発音(完全母音、弱母音)の違いに帰してしまう。この事実がアクセント移動による意味の変化を可能としている。本来アクセントの置かれる文末の内容語以外の内容語にアクセントを置くことにより文に異なった意味をもたせることが可能である。 ![]() これに対し、AAVE(African American Vernacular English:アフリカ系アメリカ人英語)ではアクセント移動による意味の強調は通常行われず、強調は語彙の選択によって行われる。(Schmied '62)黒人英語においては理想的な強弱リズムが実現されている。標準発音に見られる第2強勢はあまり見られず、すべての音韻脚が同等の「強さ」で発音されているといえる。Everybodyは標準発音では ![]() ![]() ジャズ、ブルースにおける音楽的特徴はバックビートやシンコペーションにみられる「逆リズム」である。リズムに関してはアフリカ音楽に見られるポリリズムにこの起源を求める見解が主流であるが、基本的には歌詞を伴わないジャズでは言語リズムの制限はあまりないのかもしれない。一方ブルーノートに見られる「半音下げ」はフィールドハラーの複雑な音調変化との関連性を思わせる。 この研究は断片的な証拠を基にした仮説の段階であり、参考資料も十分とはいえないのが現状である。特に18,19世紀のクリオール音声に関する資料はほとんど残っていない状態であるが、更なる資料収集を行い、研究をすすめたい。 |