第31回大会発表概要


題:都市伝説と琉神「マブヤー」 ―時代を超えて人が求め続けるものとは?―

発表年月日:2009年09月21日

氏名:山本伸(四日市大学メディアコミュニケーション学科教授)


 そもそものきっかけは、ゼミでのネット検索であった。何気に最近の都市伝説を探っていたとき、ふと目に飛び込んできたのが「さとる君」だった。「さとる君」という新手の都市伝説の特徴は、なんといってもその呼び出し方にある。公衆電話と携帯電話を使うのだ。時代をまたぐこれら二つの通信機器によって、「さとる君」は呼び出される。まずは携帯電話の電源を切る。そして、ある特定の(と、ここら辺が都市伝説っぽい)公衆電話から自分の携帯に電話をして呪文を唱える。すると、しばらくして切っていたはずの携帯に電源が入り電話がかかる。もちろん、その主は「さとる君」だ。発表では、携帯を同じく使うパターンの都市伝説として「アンサー君」も取りあげた。さらには、「カシマレイコ」と「老婆の探し物」についても紹介したが、これらは携帯は使用しないものの、どちらも「夢」のなかに現れるという点で共通する。
 ここで早くも発表は核心に触れることになる。ひとつは「個人」の範疇で執り行われるということ、もうひとつは彼らの言うことを守らなければ大変な「恐怖」を味わわされることである。呼び出す儀式はみんなでやるのだけれども、携帯に電話がかかってくる時点では独りぼっちになるわけだし、夢を見るときも独りきりだ。つまり、「個人」と「恐怖」という要素は、発表者自身がトイレの花子さんに怯え、お友だちのひさお君に「連れションを乞うていた30年前となにひとつ変わってはいないのである。
 ここに普遍性が見えてくる。つまり、いまどきの小学生もまた、携帯という近代機器を使いつつ、結局は30年前、いやそれ以上ずっと前の小学生と相も変わらぬ古典的な恐怖を呼び起こしつづけているということだ。これはまさに近代のなかに古代を呼び覚ます普遍で不変の精神活動そのものである。ここに後半の沖縄のローカルヒーロー「マブヤー」の「うけている」理由の本質が重なってくるのだが、紙面の都合上、「マブヤー」についてはまた別の機会に書かせていただくことにして、今回は割愛させていただく。すみません。
となると、次に来るのは「いったいなぜ?」である。かのカール・ヤスパースの「人間は自己存在の確実性を得られない心的状況、つまり不安を抱えている」という言を待つまでもなく、あえて恐怖を個人的に体験あるいは体現しようとする精神性は、自分がこの世に誕生し、存在していることの奇跡に対する無意識な反作用なのではないか。その奇跡を生み出した自然に対する畏怖の念が、知らぬ間に表出した形なのではないだろうか。悲しきかな、人は必ずや死ぬ。その避けられぬ摂理に対峙するための精神の浄化作用としても、この手の都市伝説はけっして廃れることはないであろう。




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