題:ニュータイプという共同幻想 発表年月日:2009年12月12日
『機動戦士ガンダム』における「ニュータイプ」概念の諸相を論じた。分析対象は主として1979年放送のテレビアニメ版、劇場版のプロモーション、及び81-82年公開の劇場版三部作をめぐるスタッフや視聴者の同時代言説である。氏名:可児洋介 (学習院大学大学院博士後期課程身体表象文化学専攻) アニメ『鉄腕アトム』から16年。テレビアニメとそのファンが、ともに青年化しようとしていた。その機運を受けて、富野喜幸はガンダムを「乳ばなれしようとする少年の物語」として構想した。この作中、富野が生み出した「ニュータイプ」は、成長することの意味が失われた理念なき時代に、人類全体の革新を描くために便宜的に要請された「枕詞(シニフィエなきシニフィアン)」であった。 当時『ガンダム』は活字SFファンとアニメファンという二層に支えられていた。だが言語文化世代とヴィジュアル文化世代の間には、「ガンダムはSFか論争」によって露呈したように、齟齬が存在していた。前者は作品が「SFか否か」、つまり「言語化可能な論理に支えられているか否か」を重視したが、後者は不問にふした。「ニュータイプ」概念に関しても、同様の対立軸が存在した。前者は作品の背後を過剰に深読みする傾向があり、空位とされたニュータイプの意味を捏造したのに対して、後者は半ば直感的に理解した。 放送終了後、劇場版三部作が企画された。宣伝プロデューサー野辺忠彦はファンを結集させ、青年化した彼らの存在を可視化させることで『ガンダム』をアピールしようと考えた。この頃、製作スタッフたちは活字SFファンの過剰な深読みに苛立っており、宣伝活動をアニメファンに委ねた。野辺はアニメファンが集う二つの喫茶店から口コミで動員をかける。そして当日、新宿東口アルタ前広場に、一万五千とも言われる青年たちが押し寄せた。 二人の若者(二人はその後富野作品にも参加する)が壇上に登場した。活字SFファンの嫌うコスプレをした二人の姿は、これがアニメファンのイベントであることを象徴していた。二人が声明を読み上げた。「私たちは、私たちの時代のアニメをはじめて手にする。『機動戦士ガンダム』は、受けてと送り手を超えてうみだされたニュータイプ・アニメである。/この作品は、人とメカニズムの融合する未来世界を皮膚感覚で訴えかける。(下略)」。思想ではなく「皮膚感覚」、すなわち感性によって連帯する「私たち(アニメファン)」という想像の共同体の成立宣言であった。 ところで、アニメーターやアニメファンの一部には、ホームビデオによって特殊な視覚を獲得した者たちが生まれつつあった。『ガンダム』作中、ニュータイプ同士が交戦する場面を描いた板野一郎は、彼らの代表である。富野はアニメファンが成長し、アニメを卒業することを願っていたが、彼らはむしろ次第に自閉したアニメ作品の「創作者―受容者」共同体を形成していくこととなった。 |