題:アメリカン・ヒーローの光と影 発表年月日:2012年3月23日
アメリカン・ヒーローとしてイメージするのは勧善懲悪に基づき行動する正義の味方である。しかし今回の発表で取り上げたヒーロー達は、その行動の原点には、ある罪や負い目を持ち、それを告白する使命感があるとも考える。そしてその伝統はヒーローの影の歴史として脈々として受け継がれていると論じた。氏名:鶴谷 千寿(富士常葉大学) まず、アメリカ文学の代表的な作品では、ヒーロー像とその影という関係が物語の中心である。ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』はピューリタン時代にボストンに起こった医師の妻と青年牧師との密通問題を扱った作品である。この作品において牧師という当時のヒーロー的な存在が実は最も罪深い不義を行い、ついにそれを告白するという話である。同様に、アメリカのノーベル作家であるウィリアム・フォークナーの物語に『八月の光』という作品がある。これは南部社会において最も犯してはいけない罪であった黒人と白人の密通を告白する物語である。南部を背景に混血の黒人Joe Christmas が黒人の世話をしている白人の女性Burdenと関係してこれを殺したためにリンチにあう話であるが、これも主人公の罪とその告白という観点からみるとヒーローとその影の関係として考えられる。 さらにアメリカ映画においても、ヒーローの影という視点から描いた作品があり、アメリカン・コミックスを映画化した『デアデビル』を取り上げた。これは、批評家によれば、ヒーローは自らがヒーローであることに苦悩し、悩み続ける。 ポップカルチャーとして勧善懲悪というパターンの中で、人間の強さを描き続けてきたハリウッド映画(あるいはテレビドラマ)に対してサブカルチャーとしてアメコミが人間の影の部分にスポットを当てて、バランスを保ってきたという構図があったと批評されている。また最近、9・11以降のあるアメリカ家族の物語『ものすごくうるさくてありえないほど近い』という映画も罪悪感、負い目がテーマであると分析した。この映画の物語の核心は2001年の9・11の惨禍で家族を失った者の喪失感よりも、崩落するワールド・トレードセンタービルにいた父親の必死の電話連絡を、気丈にも取ることが出来ず、その結果、父親を永遠に亡くした少年の罪悪感とそれ最後に勇気をもって告白するという話である。これを告白する少年はヒーロー像とその影を体現していると考える。 最後に集団的にマスクを被り、貧富の格差の是正を主張するOccupy Wall Street Movementにおけるヒーロー像を例に挙げ分析を試みた。ここには従来のヒーローの影にみられた個人の抱く罪意識や負い目に依拠する使命感やその行動というよりも、集団による力での物事の実現にその趣きが置かれているのではないかと考察した。 (その後の質疑応答では、古典的な作品と現代のヒーロー達の関連づけるにあたり、その方法論がまだ不明確であることや、キリスト教での原罪の定義も考慮する必要があるとのご指摘を受けた。多くの批評とご意見を頂いた。今後の参考にさせて頂きたい。) |