題:隠蔽装置としてのスーパーヒーロー 発表年月日:2014年07月12日
正体不明の存在で、お決まりのコスチュームに身を包み、正義のために法を無視し、暴力を行使して悪漢を倒す。それがアメリカン・スーパーヒーローのお定まりのイメージだろう。僕たちは多くの場合それを当たり前として受け入れている。けれども、よく考えてみるとその存在の仕方にはある種の矛盾があるのではないだろうか。氏名:遠藤徹(同志社大学) そこで、スーパーヒーローたちの起源へと遡ってみたところ、いくつか興味深いことがわかってきた。 まず、独自のコスチュームを身につけ、エンブレムを持ち、正体を隠したまま、自分たちの正義のために戦う存在をアメリカ史のなかで探すと、驚いたことにKKK、すなわちクー・クラックス・クランへとたどり着く。ただしそれは、オリジナルのものではなく、19世紀初頭にトマス・ディクソンの小説『ザ・クランズマン』(1905)とそれを映画化したD.W.グリフィスの『国民の創生』(1915)の大ヒットの結果、再興した第二期のKKKである。この小説と映画が、スーパーヒーローのすべての要素を準備したのであり、そこにあった人種差別や右翼的保守主義の要素を逆転することで、1938年のスーパーマンは誕生したのだということが判明した。つまり、スーパーマンとは、裏返しのKKKだったのである。 ついで、スーパーヒーローの自警主義の問題がある。自警主義とは国家の法律に従わず、自らや自らの集団を守るために自分独自の正義を行使するという行為である。多くの場合、この自警主義の起源は無法状態であったフロンティアに求められるが、実際には、植民時代のコロニーの警備もアメリカ建国の戦争自体も自警行為であったことから、むしろスーパーヒーローの超法規的で暴力的なエトスとはアメリカという国のエトスそのものであることがわかってきた。 さらに、この1930年代という時代を考えてみるとき、優生学の問題を無視することはできない。優生学の起源はイギリスであり、もっとも顕著な例はナチスであろうけれど、社会運動という形でもっとも熱心に優生学が実施に移された国はアメリカだったのである。そして、スーパーマンとは、その優生学思想における、ひとつの理想像であったということができる。つまり、優生学思想とスーパーマンとは強くつながっていたのである。さらに、スーパーマンの二人の作者が定期的に投稿していた雑誌『フィジカル・カルチャ・マガジン』が、遺伝ではなく、生活習慣とトレーニングによって「フィットネス(適性)」を獲得できると主張していたことを考えると、スーパーマンには優生学思想と、その否定の両方が含まれていたことがわかってくる。 スーパーヒーローの存在の位相が矛盾をはらんでいるのは、このようにいくつもの公然と表に出せない背景を何重にも隠蔽した結果なのだととりあえずは結論付けてみたい。 |