第5回大会発表概要


題:ドラキュラ伯爵と行くピクチュアレスク・ツアー

発表年月日:2003年3月17日

氏名:下楠昌哉(静岡文化芸術大学専任講師)


 ブラム・ストーカー作『ドラキュラ(Dracula )』(1897)の序盤が旅行記の枠組みを利用していることに着目し、作品中のゴシック小説的な突兀峨々なる風景に、19世紀を通じて出版されたアイルランドを扱った旅行記に好んで採用された風景が反映していることを論じた。
 18世紀末から19世紀初頭にかけてナポレオン戦争の影響により、アイルランドを含んだ英国国内が、英国民の旅行先として注目され、多数の旅行ガイドが出版された。その時期は、崇高かつ峻険な風景を賞賛するピクチャレスク趣味が盛んな時代であり、当時の嗜好が旅行ガイドへの挿絵に如実に反映された。旅行文学のための風景として、ゴシック小説の挿絵にふさわしいような、陰鬱でごつごつとした岩場が頻繁に選ばれたのである。その後、ピクチャレスク美学は衰退したが、旅行ガイドの再生産的かつ反復的性格は、19世紀を通じてアイルランドを扱う旅行文学に、険しいごつごつとした岩場を観光地の見所として残し続けることとなった。
 『ドラキュラ』の前作にあたるストーカーの『蛇峠(The Snake's Pass )』(1890)は、イングランド人の旅行者を主人公としている。アイルランド西部の風景の美しさの描写から始まり、明らかに旅行記の枠組みを利用している。冒頭の風景描写では、ごつごつとした海岸線が特に強調される。タイトルとなっている蛇峠は、切り立った岩石によってできあがっており、その特異な地形が詳細に描写される。
 つまり、作品の冒頭において旅行記の枠組みを使って読者を作品世界に誘う方法論を、ストーカーは『蛇峠』においてすでに確立していたことになる。『ドラキュラ』においては、スリリングな事件が起こる場所としてごつごつした岩場が選ばれていることが多い。それは、『ドラキュラ』の種本となった東欧への旅行文学の影響やストーカーが先行するゴシック小説を意識していたことに加え、アイルランドを扱った旅行文学によくみられた風景描写が、『蛇峠』を経由して『ドラキュラ』でも活用されているからである。ルーシー・ウェステンラが襲われる場所として、実在の保養地、ウィットビーの崖が選ばれていることは、ストーカーが峻険な場所と観光地の関係を認識していたことをほのめかしている。
 もう一つの要点としてあげられるのは、ウィットビーの舞台設定にみられるように、『ドラキュラ』において奇怪な事件が起こる場所は、特別の装備のない観光旅行者にも訪れる場所に設定されていることである。例えば、トランシルヴァニアは作品中で欧州においてもっとも調査がなされていない地域として紹介されるものの、ハーカー夫妻は事件の7年後にドラキュラ城を再訪する。ドラキュラそのひともまた、『ブラッドショー鉄道時刻表』を見ながら、イングランド人観光旅行者のように大英帝国帝都進行計画を練るのである。




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