第6回大会発表概要


題:韓国の『386世代』

発表年月日:2003年7月5日

氏名:「正烈(ペー・ジョンリョル)(株式会社アルク『韓国語ジャーナル』編集長)


 韓国の「386世代」とは、1960年代に生まれ、80年代の学番(=大学入学年のこと)をもつ30代の人々を指す(今日においては40代前半の人々も含む)。大企業の部長職に始まり、映画製作者にいたるまで、韓国社会の重要なポストを占めている。ここではこうした386世代が台頭するにいたった過程について振り返る。
 韓国の80年代は、18年にわたる朴正熙軍事独裁政権の終焉、「ソウルの春」と呼ばれた民主化への雪解けムード、一転してそれを絶望へと追いやった全斗煥による戒厳令発令と光州民主化運動の弾圧で幕を明けた。
 80年5月18日、韓国南部の都市、光州で戒厳令の撤廃、全斗煥の退陣、不当に逮捕された人々の釈放を要求する学生たちが起こしたデモに端を発し、それに対する暴力的な鎮圧に憤慨した一般市民も加勢し抗争は拡大。戒厳軍の銃撃により多数の死者が出るや、市民は戒厳軍や警察から奪った武器で武装し、一時は市中心部より戒厳軍を追い出す。しかし市は完全包囲され、27日、軍の総攻撃により市民側は多くの死者を出して制圧された。光州民主化運動は、韓国軍の作戦指令権を握り、制圧のための兵力投入を支持あるいは黙認した駐韓米軍についての人々の認識を改めさせる転換点になった。その象徴的な事件が、大学生たちによる「釜山アメリカ文化院放火事件」(82年)である。
 こうした動きに対し全斗煥政権は80年代中盤にかけてさらに弾圧を強化。87年には、軍事独裁を維持する大統領間接選挙制を維持したまま盧泰愚を後継者に指名した。しかし、同年5月、デモ参加により逮捕された大学生が拷問死した事件が明るみになり、約500万人の国民が参加した「6月民主化運動」へと発展。事態収拾のための盧泰愚による「6.29民主化宣言」により、ついに大統領直接選挙が実施される。選挙ではあいにく民主勢力側が分裂し、盧泰愚が大統領に当選するが、386世代を中心とした民主化の努力はここに一定の成果をあげる。
 88年のソウル五輪をきっかけに韓国は劇的な経済発展を遂げ、文民出身の金泳三政権の発足(93年)、かつて光州民主化運動に連座して死刑判決を受けた金大中政権の誕生(98年)などと、政治の変化、市民社会の発達とともに、政権打倒を叫んだ人々の運動も市民運動へと転換していく。その象徴としてあげられるのが「落選運動」を主導した参与連帯の創立(94年)である。ある市民たちは、自分たちの代表と目する政治家、盧武鉉のファンクラブを結成、インターネットを駆使した選挙活動を繰り広げ、財政基盤も、政治基盤も脆弱なこの候補者を大統領に当選させるにいたる(2003年)。これらの活動の中心を担っているのも、まさに386世代である。
 このように激動の80年代に軍事政権の打倒と民主化の実現のためにその青春を投じた386世代は、韓国社会の成熟に大きく寄与し、現在も韓国を主導する主人公として、社会変革の担い手として新しい風を吹き込み続けている。
 386世代が青春時代を過ごした今日までの20年間については、イ・チャンドン監督による映画『ペパーミントキャンディ』(2000年1月公開)にてその様相を垣間見ることができる。




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