第7回大会発表概要


題:哈日(ハーリー)族への道―日本大衆文化のアジア進出

発表年月日:2003年9月12日

氏名:松本利秋(千葉工業大学・国士舘大学非常勤講師)


 1980年代半ばを期にアジアに日本の大衆文化の浸透が著しく、「哈日族(日本オタク)」と呼ばれる者たちも出現している。本発表では複雑なアジアの文化と歴史を持つアジア諸国の間で日本のポップカルチャーが浸透していった過程をトレースしつつ日本の大衆文化の質的問題にアプローチを試みたものである。
 まず述べなければならないのはアジアの文化的背景である。アジアの文化的位相をスケッチする場合、4つの文化的潮流に分けて考えるのが一般的である。それを語る場合には地域的な分け方が最もよく用いられる方法で、まず、アラカン山脈でインド文明圏(山脈の西側)と中国文明圏(山脈の東側)に分けられる。カンボジア・ベトナム国境にあるこの山脈はインドシナ半島を縦に走っており、考古学的にも二つの文明の違いがハッキリと分類されるのだ。もう一つは現在のマレーシアを境に南部(島嶼部を含む)はイスラム文化圏、北は仏教文化圏と分類される事である。
 上記のように複雑な文化的位相を持つアジアの共通項を探るとすれば、まず第一に華人の拡散を挙げる事ができる。華人のアジア各地への拡散は19世紀に起きた大飢饉から本格化し、船や徒歩で避難民として渡り、定着して行った。第二は第2次大戦中の日本のアジア支配(全占領地域での日本語教育---この事で良し悪しは別として日本文化への認知度が高まったと言える)。三番目には冷戦構造下でのアメリカの軍事的・文化的経済的プレゼンスが挙げられる。これらの要素を基礎にして、日本の大衆文化が広がって行ったとする仮説が立てられるが、そのためにには以下の条件の検証が必要であった。
 第一にはアメリカの庇護の下に憲法までもアメリカナイズされて経済成長に成功した日本の大衆文化の質的なグローバル性(貧しいアジアに比べて日本の大衆文化は豊かで便利な生活を希求する基本的な人間の欲求を満たす条件を備えていた)。第二には日本の援助により、アジア各国が1980年代に飛躍的な経済成長を遂げ、中間層が生まれ、若者の中にはアジアン・ヤッピーと呼ばれる新しい完成を持った若者が登場し、日本文化を受け入れる素地となった事。中でも豊かな華人が高価な日本製品を手に入れ、それが他人種の若者の間に普及していく効果をもたらした。特に華人の女性が日本製品のフィギア・キャラクター(キティ人形などが代表的な商品)を好み、台湾・香港などで製作される安価な海賊版が華人以外の若者の購買意欲に火を付けて爆発的なブームとなって行った。この普及のパターンは日本製のアニメやポップス、漫画などにも共通したところとなった。その結果、第三にはアジアの若者が自らの自己表出として日本の漫画やTVドラマ等の脱イデオロギー性(積極的な女性のあり方と性表現等)に投影された新しい感覚に引かれていく傾向が強まった、ということになるだろう。
 以上の検証を通じて、日本の大衆文化がアジア各地に受け入れられていくプロセスを多層な文化的潮流とその共通項というコンテキストの中での仮説の立証と言う形で検証を試みたが、発表の時間配分を誤り、個別論に入れなかったのが反省点として残っている。




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