題:歌の国ウェールズとポピュラー・ソング――ウェールズを歌う若者たち 発表年月日:2003年12月13日
ウェールズは歌の国として知られている。それはウェールズの民族が他に類をみない、賛美歌の合唱を好む民族である所以だ。これほどまでウェールズ人が賛美歌の合唱を好んだのは、イングランドの圧政下におかれた、彼らの悲惨な歴史と深い関係がある。氏名:永田喜文(明星大学非常勤講師) 独自の民族文化と言葉をもつケルト人の王国ウェールズは、現在イングランドの一地方として扱われているように、1536年のイングランドへの統合以来、イングランドの圧政下にある。そのため特に1534年の英国国教会の設立と1536年のウェールズ語禁止令、そして18世紀の産業革命に伴うイングランド人の炭鉱開発と大量移住は、その後のウェールズの文化形成に大きな影響を与えた。特に言葉への影響は深刻である。現在、ウェールズ語の使用者は、全人口の2割にまで落ち込んでいる。それでもウェールズ語が生き延びることが出来たのは、教会の中でのみウェールズ語の使用が認められたためである。 国教会/非国教会を問わず、唯一ウェールズ語の使用を許された教会は、ウェールズ語を守るのに大きく貢献した。19世紀、ウェールズで最も支持された教派のメソジストは、信者に禁欲的な生活を求め、娯楽を禁じた。そのためウェールズでは18世紀以前の民謡が失われたが、代りに数千曲にもおよぶウェールズ語の賛美歌が書かれた。中には、「ハーレフの男たち」のように、他民族の支配と圧制によって虐げられてきた自分たち民族の悲しい歴史や、それに屈しない反骨精神を、美しいメロディで歌った賛美歌もあった。ウェールズの民衆はこれら賛美歌の合唱を好み、またこの合唱を通じて、自分たちの言葉と文化、そして民族の魂を守ってきた。故に、歌の国と呼ばれるようになったのである。 この賛美歌の合唱は、20世紀には民衆の楽しみであると同時に、伝統芸能として根づいた。またウェールズ語は1967年に漸く公用語となり、そのため1960年代から80年代の間、ウェールズでは2種類のポップスが生まれた。ウェールズらしさを強調しない英語の歌と、政治的な主張を前面に押し出したウェールズ語の歌である。後者は音楽的なことが二の次だったため、一部の支持者を除くと当然のごとく人々から敬遠される。 1990年代に入ると新しい音楽シーンが南ウェールズで生まれた。このシーンを形成したのは、政治的な主張は皆無にウェールズ語で歌う人々と、英語でウェールズを歌うマニック・ストリート・プリーチャーズら新しいバンドだ。彼らの歌詞には、現代ウェールズから生じる怒りや悲しみがある。しかし彼らはこの辛い現実を正面から受け止め、美しくも明るいメロディと強靭なビートにのせて、それを力強く歌う。この姿は、彼らの祖父たちの合唱と重なる。即ち、彼らの歌にある精神的な強さは、民族の悲惨な歴史とそれに屈しない反骨精神を詠みこんだ讃美歌の合唱を通じて、受け継がれてきたウェールズ魂にある。 |