第9回大会発表概要


題:新中国のイデオロギーと芸術

発表年月日:2003年3月5日

氏名:叢小榕(そうしょうよう)(いわき明星大学助教授)


 中国共産党は1921年7月の創立時から、マルクス主義の階級闘争理論をイデオロギーの依拠としていた。このイデオロギーにより、中国共産党は圧倒的多数の民衆の支持を得て、台湾を除く中国全土を掌握するに至った。
 1942年5月、毛沢東は延安で文芸関係者を集め、「延安文芸座談会での講話」を行い、文学芸術の階級属性を強調した。以来、階級闘争のイデオロギーは文学芸術の領域にも浸透した。階級闘争をわかりやすく表現したオペラ『白毛女』が最も代表的な作品のひとつである。このオペラを見た兵士が、舞台上の地主役を殺そうとしたというハプニングも伝えられている。
 1949年、新中国(中華人民共和国)成立後、毛沢東は階級闘争のイデオロギーを変えないばかりか、むしろ強化していた。そんな中でも、階級闘争と無関係の作品が生まれていた。この傾向は特に音楽など抽象的な芸術の分野で顕著である。少年少女の恋を題材とした民間説話に基づいて作曲されたヴァイオリン協奏曲『梁山伯と祝英台』がその典型のひとつである。
 ところが、1960年代半ばから1970年代半ばまでのプロレタリア文化大革命に至っては、階級闘争が文芸作品の価値をはかる唯一の基準となり、この基準を満たさない作品が批判され、作者は迫害を受けた。毛沢東の夫人で文芸革命をとなえる江青が「あらゆる登場人物の中で革命人物を強調する。革命人物の中で英雄を強調する。英雄の中で主要な英雄を強調する」という文芸創作の「三つの強調」原則を打ち出した。この時期の代表的な作品は、いくつかの京劇のほか、いまでもしばしば公演されるバレエ『赤い女子中隊』やピアノ協奏曲『黄河』などがある。
 1976年、毛沢東の死と夫人江青の失脚をきっかけに、文化大革命が終結し、中国は改革開放の時代を迎える。1978年10月、高倉健、中野良子主演の日本映画『君よ 憤怒の河を渉れ』が中国で『追捕』というタイトルで翻訳され、上映された。無実の罪が主軸のこの日本映画は、中国共産党のイデオロギーの変化を反映させるものであった。実際、三度の失脚を喫したケ小平の最終的名誉回復も、この映画が翻訳された年の12月に開催された中国共産党大会で公表されたのである。同大会で、党活動の重点を現代化建設に転換するという方針が決定された。実質上、毛沢東が堅持していた階級闘争のイデオロギーへの否定であった。その後、文化大革命中で無実の罪を着せられた多くの幹部や知識人らが次々に名誉回復と社会復帰を果たした。
 それからわずか二十数年、世界規模の体制収斂が進む中、中国でもイデオロギーの影響力が薄れ、映画や音楽など多くの分野で世界から認められる作品が次々に生まれることに象徴されるように、芸術は比較的自由な発展を遂げてきた。映画『紫胡蝶』のように、かつてのイデオロギーのタブーに挑戦しようと試みる作品も出現した。




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