第12回研究会発表概要


題:ソフトウェアなど存在しない:デジタルゲーム研究の現状と課題

発表年月日:2000年6月24日

氏名:内田均(淑徳大学非常勤講師)


 日本のゲーム産業はここ数年、概ね緩やかな下降線を辿っている。その要因を探るには、ゲーム産業全体の統計や大手メーカーの財務状況の把握のみならず、市場ないしはユーザーの動きに対し、よりきめ細かな分析が必要となる。デジタルゲームが「おもちゃ」として一過性のブームであるとみなされることも無くなった現在、文化としてのゲームに対する多様な研究のアプローチも要請されるだろう。
 そこで本発表では、ゲームプレイのもつ一回性を、ベンヤミンの複製芸術論の延長上に布置することで、複製作品としてのデジタルゲームの特異性を考えてみた。
 ベンヤミンによれば、複製は次の2つに分類できる。
 @手工的複製---「ほんもの」の権威を支える
 A技術的複製---「ほんもの」に対し高度の独立性を有する
Aには、作品が生成された場所性、出来事性からの切り離し、という特徴がある。技術的複製にあっては、「いま」「ここに」という従来の芸術のもつ特権的な一回性は失われるが、これは見方を変えれば、「リアリティの照準を大衆に合わせる」ことでもある。
 さて、現代における表現分野は概ね一回性の有無により分類できる。例えば、演劇、ライブ音楽、絵画、手書き原稿などは一回性の表現であり、映画、ビデオ、音楽CD、コミック、書籍などは、一回性を失った複製表現である。ところが、デジタルゲームは複製作品でありながら、一回性を擬似的に再獲得した。擬似的な一回性として、一人プレイにおける自分だけの体験(戦闘プロセス、物語ルートの一回性/非再現性)、バグ・裏技・データ改造による能動的体験、そして対戦プレイにおける一回性が挙げられる。ゲームというルールの集積物、あるいは行為のフィールドとでもいうべき抽象物を複製することから、一回性と、技術的複製による大量消費の両立が可能となったのである。
 しかし、このような複製物の大量消費という現象の中に、作品としてのゲームの存在を危うくする問題がある。ソフトウェアを形成するバイナリデータは、劣化の無いコピーが可能と言う意味では、極めて耐久性に富む。この利点から、博物館などで、絵画、古文書などをデジタルアーカイブとして保管する動きがある。ところで、このようなデータを、人にとって意味のある物として存在させるには、プログラムを動かすハードと、それを載せる狭義のメディアが必要になる。だが、ゲームソフトはハードの種類や能力に依存する度合いが極めて高い。畢竟、デジタルゲームにおいては、ハードとソフトの分離度の高さ、技術の潜在的成長可能性から、メディアの耐久度が極端に低くなるのである。
 以上のことから、ゲームソフトを作品として、人類の知的財産として残してゆくためには、ハードを重視し、その累積的な保管について考えなければならないという課題が見えてくる。ゲームソフトに加え、ゲームハードを公的機関で保管すること、古いゲームの寄贈を受け入れたり、発売後一定期間立ったものを網羅的に所蔵し、それらのデータベースを各機関で共有したり、閲覧プレイが出来る、といったようなインフラを構築してゆくことが、ゲームを研究対象として扱う上で、今後必要となるであろう。




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