題:ファッシネイティング・ファシズム ---- レニ・リーフェンシュタールとナチ美学の危険な関係 ---- 発表年月日:2001年3月30日
レニ・リーフェンシュタールは『意志の勝利』をはじめとするナチ党賛美の映画を撮った忌まわしい過去ゆえに誹謗中傷に晒されてきた。しかし彼女の創作活動はナチ時代だけにとどまらない。ワイマール期の山岳映画や、戦後のヌバ族写真集などが知られるにつれ、リーフェンシュタールを芸術家として高く評価する声が次第に大きくなってきた。 氏名:渋谷哲也(学習院大学非常勤講師) リーフェンシュタールは、本国ドイツではほとんどタブー視された存在だが、海外では評価が高い。とりわけ日本で彼女は「オリンピア」の監督として名声を確立しており、また世界に先駆けてリーフェンシュタールの回顧展が開かれたのは日本が最初である(1992年、渋谷文化村のザ・ミュージアムにて)。 こうして近年彼女の再評価のムードが高まり、ドイツでも彼女に対する批判緩和の兆しが見られるようになった。1993年にドキュメンタリー映画『レニ(映像の力)』が公開されたことが、それに大きく寄与することになった。彼女の生み出した映像美を目の当たりにするとき、やはりその圧倒的な表現力に打たれずにはいられない。こうしてリーフェンシュタールはナチの亡霊を駆逐し、歴史的な高みに祭り上げられつつあるようである。 しかしそのとき見過ごしてはならないのが、彼女への賞賛はその背後で彼女をめぐる政治的問いを隠蔽する形で進行しているということである。リーフェンシュタールのナチ加担は、無知な芸術家が単に犯罪的国家体制に利用されたというだけで単純に説明されるものではない。戦後一貫して彼女への激しい糾弾が続いていることも、またそれに対して彼女が一面的な自己の潔白の主張を繰り返してきたことも、その背景に戦後ドイツにおけるナチの過去との徹底した対決の議論を知らなければ理解できない。 さらにリーフェンシュタールのナチ時代以外の映画や写真ですら「ファシズム的美学」といわれて否定されるという一見してあまりにも不可解な批判も、戦後のナチとの対決の議論の中で読み解く必要がある。ユダヤ人だったジークフリート・クラカウアーが亡命先のアメリカで執筆した『カリガリからヒトラーへ』(1948)は、ワイマール期ドイツ映画をすべてナチ体制へ至る過渡期とする観方を定着させた。そこではナチ党大会映画『意志の勝利』の壮麗な美学を準備する『ニーベルンゲン』(フリッツ・ラング)との美的なコンテクスト性が指摘された。そこには実証的で冷静緻密な考察ではなく、むしろナチというどうしようもなく巨大な問題との対決の意図を前面に感じさせる。 だがこうした美的糾弾の影響力は大きく、ナチを想起させる様式には時代を超えてファシズムの嫌疑がかけられることになっていった。70年代の最初のリーフェンシュタール復権ムードの中で、アメリカでは再び彼女への激しい美的批判が再燃した。スーザン・ソンタグは『魅惑的なファシズム』(1974)でリーフェンシュタールの経歴の嘘を暴き、彼女の美がナチ時代も戦後のヌバ族写真集も、まったく変わっていないと示唆した。 こうした美的批判は印象論に終わることが多く、実際にはリーフェンシュタールの写真から、彼女のナチへのシンパシーの確固たる証拠を見出すことはできない。そこで今後のリーフェンシュタール評価に求められるのは、彼女の生み出した美的な世界にできるかぎり率直に目を向けることしかないだろう。その際リーフェンシュタール本人が自伝やインタビューの中で繰り返す自己救済のレトリックから距離を取ることが肝要である。すなわち、彼女のナチ加担という政治的罪は、彼女の美的な功績とは別の次元で考えられるべき問題だということである。そしてそれとは別の問題として、彼女の作品に「ファシズム的美学」が見られるとするなら、まさしくそこでの「ファシズム的」とは何なのかを多面的に問いかけてゆかねばならないだろう。 |